それで、4月は何をしていたかと・・・
・・・
でした。
(日本舞踊の作品を踊る機会もあったのだけれど、それは置いといて)
パリからTGVだと一時間くらいのレンヌの街から
そう遠くない、アイという小さな街の、
100席くらいの小さな劇場で「フラワー・・・」を踊り、
その後パリでも、2回。
つまり、週一レベルで、50人弱の観客の前で、
50から、60代の、ダンサーと女優7名で、
55分間のダンス・テアトル公演です。
とりあえず、5月3日が今回の最終。
上の写真は、昨秋のものだと思うけれど・・・
熟年ダンサー、どうよっ、って感じ。
私、やけに歩幅が・・・?だけど。
"Pour que la vieillesse ne soit pas une parodie de notre existence antérieure,
il n'y a qu'une solution,
c'est de continuer à poursuivre des fins qui donnent un sens à notre vie."
Simone de Beauvoir
この、ボーヴォワール女史のことばが、
プログラムに添えてあるの。
どう訳すものやら・・・(汗)
相当な意訳を承知で、私自身の解釈では・・・
『老いていくこと、というのは、それ以前の自分の存在、
つまり若き日の存在っていうものの風刺の意味ではなくて、
人生の本能的な感覚、方向性を示す先(純粋さというか精度の高いそこ)、
そういったものの追究あるいは、深めていくことをひたすらに続けていく、
それだけである。
そして、それだけでしかない。』
フランス語の訳から解釈すれば、全然正解ではないでしょうが・・・
たぶん、こう感じる。(笑)
老いていくことは不快なことでも、
不安なことでもなくて、
未知の新しい発見を呼び覚ますものだと思うのよね。
確かに、疲れてでれでれの顔を鏡で確認すると、がっくりするけれど、
このくたびれた顔に人生出てるなって思うと、
味わい感じるし、
体調の変化や、異常も、
不思議な新鮮さを感じる。
未知の体験だけに不安はないとはいえないけれど、
時として、苦痛はともなうし。
でも、
何かに執着して、
その新しい状態を、十分に味わうことを
はなから、嫌悪しちゃうと・・・
苦痛はますます大きくなっていくし、
それにとらわれて
人生の多くの大切なときを、失っちゃうんじゃなかろうか。
すべてを、丸ごと受け入れちゃって、いいんじゃなかろうか。
私たちには、いつも未知の世界が開けていて、
それは、生まれたときも、
今もおんなじ。
お迎えがきた時の死さえ、
未経験への遭遇なんだ。
で、だから、人生の味わいは、本当は深まってきているはずなのよね。
世間の、
「老化対策」「健康志向」だのの煽りに乗せられるのは、
決して、賢い人生の楽しみ方とは、言えないような・・・
「老い」も「病」も
味わえばいいんじゃないの。
まぁ、それも含めて、
誰のものでもなく、自分の選択ですが。
今日は久しぶりにコメント欄を開けてみます。
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